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2012年11月3日土曜日

第37回歴史講演会「近代日本を興した礎 明治天皇」に参加して参りました

仙台ビジョンの会様の歴史講演会は、毎回内容が濃く政治に関わりを持つ身としては為になるお話ばかりで楽しみにしております。

講師は日本政策研究センター主任 岡田幹彦先生です。

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明治天皇の政を歴史軸に沿ってお話されました。

日露戦争の英雄豪傑たちの重用や、歌聖としてもちろん。

特に教育勅語については、戦後に要らぬ曲解を受けましたが英訳で本にまでなった素晴らしい文章です。

先日、ある宮司様とお話していた際、ある閣僚経験者が教育勅語の成り立ちについて、

「日本はユダヤ経典や聖書のような基軸がない為、教育勅語が出された」という内容の発言があったそうです。

事実は、明治天皇が各学校をまわった際、極端な欧米化が日本古来の道徳の腐敗を招いていることを知り憂慮され、結果、教育勅語が生まれたのが事実です。

先日の硫黄島でも少し触れましたが、教育勅語が自決や玉砕の元になった論が未だにありますが、そんな内容ではありません。

12の徳目

親に孝養をつくそう(孝行)

兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)

夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)

友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)

自分の言動をつつしもう(謙遜)

広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)

勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)

知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)

人格の向上につとめよう(徳器成就)

広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)

法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)

国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)

Wikipediaからそのまま引用します。

この内容は当たり前のことです。しかし、これを遠ざけてしまった戦後の一時期以降、我が国の道徳はどこか安定しない、曖昧なものになってしまいました。

道徳の根幹にある「勇気」の部分が「暴力」と同一視されている点。これは大東亜戦争の敗戦以後、暴力に対する潔癖症が推し進んだ結果、自衛すらままならない国家観によく現れています。この問題はいわゆるいじめ問題(暴力事件)に顕著に出ていると私は考えます。私もいじめ被経験者ですが、最後は自衛することでいじめは終わりました。

力には、必ず力で抗せよとは言いません、しかしそれを実行する勇気を持つことは、自衛の根幹であります。

今はとにかく暴力はいけない、話しあおうという極端な状態にあります。子供らのためにも、怒るときは怒る、屈しない、抵抗する、そういう見本をつくることも、大人が社会で出来るいじめ対策かと思います。今はとにかく外交分野が情けなく、子供もシニカルにそこを見ているように思えてなりません。

そして、共通した美徳がない点も、いじめ問題に拍車をかけているように思えます。

多様化した価値観のある現代ですが、教育勅語には人間として共通の善が定義されていると思います。

子供たちに教えるべきは、誠実さ、絆、勇気、そういった行動の伴う美徳であり、立ち位置によって変わる正義や自由、人権などではありません。

今後、教育の見直しが進む中、震災で素晴らしい道徳を見せたおらほの町でこそ、教育勅語の価値の見直しが進むと嬉しいのですが。

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