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2014年3月12日水曜日

石巻市の歪さ

議員にならせて頂き一年近く。
国のこと、県のこと、市のことと、その案件ごとに働きかける場所が違うということはしょっちゅうです。

議会に入った当初は、国家観を出さなければ、それは市の案件ではない、などなど、さまざま指摘をされたことを覚えております。ですがどうでしょうか、私という個人があり、それが家族とつながり、地域の会社なり、組織なりと縁があり、ゆくゆくは県であったり国へ届き、いずれ世界へとつながる。

多くの条例や計画が国や県へ関係がある以上、そういった区分け、特に政治上の挟持において、それを市議会で議論することは私は無意味とは思いません。それがゆくゆくは国政に反映されるものだと信じているからです。

さて。
たとえば、今年の311追悼式においては、国歌斉唱の際、他市では起立をして斉唱を促していたそうですが、石巻市ではそれはなし
式典において、国歌斉唱はその国への敬意であったり、あるいは今回のような追悼式であれば祈りを、表現しているものです。それがないということ事態、私は冒涜的だと感じました。 

市議会において、国旗がないというのはまだまだ多数ありますが、市旗すらないのが石巻市の現状です。
「たかが布切れに何を」 
という声もあるのでしょう、しかし、この旗は日本、あるいは市が続く限り消えない象徴そのものです。
その旗の下、復興の議論を重ねるということは、私は遠いが確実に来る未来への約束のもと、議論しているという覚悟・責任が得られると思っております。

復興は精神の復興でなければならない。
経済、住宅の問題、もちろん大事ですが、その基礎となるべき公の精神。
この基礎が歪んでいては、良い将来、子どもたちが笑い合う未来など、夢は夢で終わると感じています。
モラルハザードを嘆く大人が多い中で、何がモラル、道徳かかすら規定できない、そんな公ではいけません。しっかりと軸足を揃えて、一歩ずつ進む、そういう復興の一年であればと思います。 

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