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2014年8月17日日曜日

8/15日、宮城県護國神社英霊奉謝祭に参列して参りました

去年より車は多かったのですが、幾分参列者が減ったような…

私の政治的目標には、ご英霊の名誉回復というのがあります。
ある方のおかげで護國神社様にお参りするようになりましたが、それまでは靖国神社に行っておりました。
昨今の「朝日新聞社による、いわゆる従軍慰安婦に関する誤報」もそうですが、大東亜戦争の実態が徐々に明らかになっております。
「ひょっとしたら、戦後の歴史観、国家観、国際感覚、外交はつくられたマイナスの土俵にあるのではないか?」
そのつくられた世論の中で、もし国民がご先祖様、ご英霊を悪鬼邪神のように感じているのならばそれは違います。

私の基本的スタンスは、「悪いことがあれば謝る、しかしながら政治、国際社会には嘘や捏造はあって当たり前なので、それを見抜く目を持つ」が大前提だと思います。
日頃から、復興に関する美辞麗句への疑問や、キレイ事だけの復興に疑問を投げかけているのはここから来ている感覚です。  

私の立ち位置をはっきりしているので、よく、
「自衛権拡大は怖い」であるとか、「軍靴の音が」というお話をされます。
そういう際、お話することは、思想的右左を問わず、最終的目標は「自国、公の恒久的平和」であることは疑う余地がありません。
問題はその際の手法にあると思います。
現実社会において、力とは経済、外交、戦力を含めて総合力になりますが、そのバランスは緊迫してくればくるほど、戦力に比重が置かれるのは言うまでもありません。 
その現実的なバランスがどうなのか、そして、今決断しなければどうなるのか。
ご英霊が望んでいる、私が望んでいる「平和」は、決して「奴隷の平和」ではありません。
皮肉なことに、本来であれば自由、平等、博愛の精神をベースにしているはずのリベラル勢が、自由の本質を履き違えている点は非常に情けない限りです。
何からの自由であるべきなのか、あるいはなにへ向かっての自由であるべきなのか。 

私はこの国に生まれてよかったと心から思っております。
私を育ててくれ、今なおすれ違いながらも気付きを与えてくれる多数の方々に感謝するということは、彼らが守りたいものを政治的に守ることとイコールではないでしょうか。
私の帰結としては、彼らが守りたいものとは彼らの誇りであり、名誉であると思っています。 

願わくば、平和が続くことを祈りますが、それは一方的な譲歩や、誤報、嘘をベースにしたものであってはなりません。
それは、誇りや名誉の向こう側にあります。

そしてそれは、311の震災で亡くなった方に報いることとも繋がっている気がします。
国歌を歌わない追悼式であったり、様々なところで見え隠れする死者への不遜は、あってはならないこと。
復興の本質は、彼らの願いであるよりよい発展を市全体が目指すことであるべきです。
同様、ご英霊の思いを受けて、よりよい社会、国づくりに、地方からの活力が必要ではないかと思います。

終了後、心強い仲間たちと。
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