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2013年12月4日水曜日

台湾へ行ってまいりました!

11月28日より、3泊4日の日程で行ってまいりました!
目的は震災のお礼もありますが、震災の際のあの義援金はどうしてあれだけの額(250億円)になったのかを発信する責任が、市民代表である議員として「ある」と感じたからです。

詳細は一緒に行きました両国先生が動画で発信してくれると思いますので、私は感じた部分を。

台湾は二度めになります。
とにかく日本語が通じる点がいいのですが、私はついついちぐはぐな英語で返してしまいましてキョトンとされることが多々あります。

 

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六氏先生、日本統治下、台湾に渡りました六人の青年教育者。現地の匪賊に殺されてしまうのですが、その最後まで教育の大事さを説いた姿勢は、匪賊すら躊躇したそうです。お墓に向かったところで見知らぬお爺さんからお話頂きました、聞けばボランティアでお墓の清掃、慰霊をしてくださっているそうです。 

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飛虎将軍廟
個人的に一番行きたかったところです。詳しいところはリンク先を参考にしてもらいつつ。
こちらは国歌、海ゆかばを流して、神様に捧げているそうです。異国の地で神様になること自体がすごいことですが、それを察して国歌を流していただけるというのはとてつもなくありがたいことだと思います。

現地では小学生がつくってくれた飛虎将軍の漫画を頂きました。

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八田ダム。
八田與一技師がつくったダムで、水不足に悩んでいた台湾の田畑に潤いを与えました。昨年伺った際はこちらで慰霊祭に参加させて頂き、台北市長と面会させていただいたのを覚えております。

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こちらは高砂義勇隊慰霊碑です。
戦中、日本と台湾は一緒だったことが感じられます。

さて、この旅で確信したことは、たとえば台湾921地震の際、日本が一番最初に支援したからお礼をしてくれたとか、あるいは経済的交流があるからとか、そういうことで義援金が多くなったわけではないということです。

確かに、台湾には「倍返し」の文化があります。半沢直樹が高視聴率なのもそのせいでしょうが、それだけでもありません。

これは、日本の先人の活躍。
六氏先生の現地の教育にかけた思い、飛虎将軍の仁の心、八田與一技師の願い、そういった下地があり、また、それを正当に台湾国民が評価してくれたこと。その結果が高砂義勇隊であり、 そして2011年の行動に反映されているということです。

なんと素晴らしいことだと私は思います。  

最大の被災地として、台湾がどうしてあんなに支援してくれたのかを問い直し、教育にこれらの歴史を反映させることが、私の使命のひとつだと感じます。

たとえば飛虎将軍。同じエピソードが近代日本にもあります。
かつて入間T-33Aという訓練機が墜落した事故がありました、彼らは安全圏で脱出できたにも関わらず、眼下に見えた住宅地を避け、河川敷に機を落とすために最後まで操縦桿を引き続けました。 
震災においても、最後まで避難放送を続けた人々、あるいは避難誘導に殉じた方々はたくさんいます。 彼らを英雄視しろというのではありません。
人の中に人が宿ってこそ、人は誇りと勇気を持てるものと思います。台湾の地でその原点を見ました。
両国の絆を実りあるものとし、共通の歴史を背負うものとして、先人に負けないようしっかりと復興に邁進してまいります。 

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